成人式と15歳の私からの手紙
無事に成人式を迎えて、乗り越えることができました。
ただでさえ精神疾患で苦しい私が、ぎゅっと締められた振袖姿で半日過ごさねばならない苦行に耐えれたことは奇跡でした。むしろ晴れ着姿が嬉しいとも感じられて、自分の進歩を実感しました。
成人式の人混みにも耐えることができ、最後まで式に参加できていました。これも奇跡だ…!
友達とたくさん写真も撮れて、すごく幸せな時間を過ごさせていただきました。久しぶりの「幸せ」でした。
その後の同窓会でも気持ち悪くなったりせず、無難に過ごすことができてよかったです。
その同窓会の最中に、5年前に自分宛に書いた手紙が配られました。
そこには15歳の私の苦悩がたくさん書かれていました。私は読んでいて涙が止まりませんでした。それくらい15歳の私は苦しんでいました。
20になった私も精神疾患と闘っていて苦しいけど、きっと乗り越えられると15の私に背中を押してもらった気持ちになりました。
15歳の私からの手紙は一生の宝物です。
20歳の私から15歳の私へ。
今もなお精神疾患で苦しんでいるけど、ちゃんと乗り越えるからね。私は私なりのスピードで成長しているから安心してね。夢もきっと叶えるからね。
感傷的になりやすい冬。だけど感情をぶつけること全てが悪いわけではないと思います。
感傷的になるのはいけないことなのでしょうか。
私は冬の寒さを感じると、センチメンタルな気持ちになってしまいます。でも一番好きな季節は冬です。
私は昔から感受性が豊かで、しかしそれは良いことばかりではなく、感傷的になって泣きじゃくって周りの人を困らせることもたくさんありました。
「私は感傷的になりやすい。だけどそれは誰かに迷惑をかけることなんだ。」と10代で悟りました。
そうしたら、自分の中からどんどん「感情」というものが消えていきました。笑うことも泣くことも怒ることもなくなった私は、周りの人から「人形みたい」と言われました。
感受性が豊かで感傷的になりやすいのが私の悪いところだと思って生きてきたら、人形のように表情と感情がなくなってしまったのです。
私は感傷的になっても良いと思います。思いっきり自分の感情をぶつけることは悪いことではないと思います。
たしかに昔の私は人に迷惑をかけてきました。それは申し訳なかったと反省しています。
でも、自分の感情全てを押し殺した、人形にはなりたくありません。
今、私は少しずつですが、自分の感情を前に出して、人形から人間になっている途中です。
感受性が豊かで感傷的になりやすかった私だからこそ、ブログというものに出会えて、文を書くことを楽しめているんじゃないかと思っています。
悲哀の感情に溢れた文章だけでなく、楽しい明るい文章を書けたらいいな…。
「発達障害」と「精神疾患」の違いはなんだろう?
私は境界例という精神疾患であると診断されたのですが、検査を受ける前までは自閉症スペクトラムという発達障害であると診断を受けていました。
なぜそのような誤解が生まれたかと言うと、おそらくですが「精神疾患」と「発達障害」は紙一重だからではないでしょうか?
今日は「発達障害」と「精神疾患」の違いをいろんな側面から、カンタンに見ていきたいと思います。
【違い1】症状が現れ始める時期
・精神疾患…主に青年期、若年期に発症(つまり大人になってからが多い)
・発達障害…主に生まれてから幼少期にかけて発症
私は高校生の頃に心療内科を受診するようになったので、幼少期はごく普通の子でした。つまりこの時点で発達障害ではなかったのですね。
【違い2】発症した原因
・精神疾患…育った環境や親、いじめなど、外的影響
・発達障害…生まれつきの脳の特性、脳の病気
私の親は仲が悪く、父親は母親に対してDVだった時期もあり、それを見て育ちました。精神科の先生たちは口を揃えて「原因はお母様、お父様です。」と言われました。
別に親を否定するつもりは全くありませんが、精神疾患を患っている多くの人に共通するのが家庭環境の悪さだと言うことです。
今は自分で自分の道を歩いていますから。
まだまだ違いはあると思いますが、どちらも苦しい病気であることには違いありません。
発達障害と精神疾患の両方の理解が広まり、ハンディキャップを持った人たちが生きやすい世の中に変わっていくことを願うばかりです。
私は「境界例」ですが、実は「自閉症スペクトラム」であるかもと診断を受けたことがある話。
私の病気は「境界例(境界性パーソナリティ障害)です。
しかし、検査を受けてそう判断されるまでは、「自閉症スペクトラム」であると診断されていたのです。
ここで簡単にですが、境界例と自閉症スペクトラムの違いについて見てみましょう。
・境界例…神経症のような軽い精神疾患と、統合失調症のような重い精神疾患のちょうど間のような精神疾患
・自閉症スペクトラム…「臨機応変に人と付き合うのが苦手で、自分の関心・やり方・ペースの維持を最優先させたいという本能的志向が強いこと」を特徴とする発達障害
(メディカルノートより一部参照)
二つを比べてみると、大変差がありますね。まず第一に「精神疾患」と「発達障害」は全く別物です。
精神疾患と発達障害についての違いは次回のブログで言及していく予定です。
私は最初は自閉症スペクトラム(つまり発達障害)と推測されていたのですが、知能検査や面談の結果、発達障害に引っかかるものは見つからなかったのです。
つまり発達障害ではないから自閉症スペクトラムなわけがなかったのです。
検査を受けるって大事だなぁと感じたお話でした。
「会食恐怖症」で「外食恐怖症」の私が頑張って同窓会に行く話。
私は会食恐怖症で外食恐怖症です。どういうことかと言うと、人と対面して食事をとることが苦手で、それ故に外食に行くのが辛いということです。
昨年はたくさんの忘年会にお誘いいただいたのですが、会食・外食恐怖症のせいで全て行きませんでした。というか行けませんでした。
新たな一年が始まったし、自分も変わっていきたいという目標があったので、今日、高校時代の同窓会に参加してきました。頑張った!
集合場所に行くまでは動悸が激しく、もう帰りたい、この場から逃げ出したい…!とずっと考えてしまって辛かったです。
集合場所についてからも動悸は治らず、友達と話すどころかお茶を飲みまくって安定を保たないといけないほどでした。
何が私をこんなにも不安にさせるんだろう?と考えた時、会場の居酒屋さんが行ったことないところだったため、窮屈な場所ではないだろうか、私が食べられて飲むことができるものはあるだろうか、などなどしょうもないことですが考えてしまったのです。
いざお店に入ると、広々していて安心しました。会食ができない私がやっと口にできたのはウーロン茶ときゅうりの浅漬けだけでした。
それでもよかった。本当によかった。外食をすることができたことに大きな喜びと少し自信がつきました。
これからも自分を認めつつも、努力することを怠らず前向きに生きていきたいと思います!
…お腹空いちゃったからなんか食べます(笑)。
悲しい。「境界例は排除されればいい」という世間の言葉に胸が痛みました。
このブログのネタになるきっかけがないかな〜と思って、境界例(そこには主にボーダーという名称で書かれていました)について意見を述べるサイトを見ていました。
悲しいことにそこには、「境界例の人は他人に迷惑をかける」、「排除されればいいのに」などといった、否定的な言葉がたくさん書かれていました。
いくら精神疾患が浸透していないこの世の中であっても、ここまで徹底的に嫌がられるなんて思いもしませんでした。もう少し受け入れてもらえるものだと思い高を括っていたのです…。
私は現在精神科に通院して、1日でも早く境界例を治そうと努力しています。しかし完治するまでの道のりで、周りの人に迷惑をかけることもあります。
そんな時に周りの人は私のことを煩わしく感じている可能性が大いにあることを今回ひしひしと感じました。
精神疾患があるという方は今まで以上の努力が必要なの…?と悲しくなりました。十分努力している方がたくさんいると思うからです。
自分の身近に精神疾患で苦しんでいる人がいたら、少し手を差し伸べて、見守っていてほしいです。
私たちも精一杯の努力をしていますし、これからも努力します。それを約束することが、健常者と精神疾患者の架け橋になると思います。
お互いのことを認め合い、努力し合っていきたい。それはきっと生きやすい世の中になると思います。
【必読】メンヘラ過ぎる彼女を持った彼氏さんへ
「メンヘラ過ぎる」ことが理由で、2年付き合っていた彼氏と別れることになってしまった失恋系女子らん乃です。
メンヘラ過ぎる=境界例(境界性パーソナリティ障害)という病気である可能性を今までのブログ内で書いてきましたが、「メンヘラ」について、「境界例(境界性パーソナリティ障害)」についてもっともっと知ってほしい…!
特に今回は、メンヘラ過ぎる彼女を持っている彼氏さんに読んでほしいです!!!
「メンヘラ過ぎると重いしうざい…」と思っているそこの彼氏さん。確かにメンヘラ彼女は返信が遅いとラインのスタンプ送りまくるし、着信履歴もハンパないけど、本当は普通の女の子なんです。普通の女の子より愛情を注がれて育ってこなかったから、愛し方がわからないのです。
メンヘラ過ぎる彼女を持った彼氏さんへ。
「かわいそうだな。」と思って一緒にいてください。彼女は彼女ですごく悩んでいることをわかってください。だから決して冷たくして突き放したりしないでください。
ファッションメンヘラな彼女は全く別の話ですからね。
本当に心から悩んでその結果メンヘラになってしまっている、いわゆる「境界例(境界性パーソナリティ障害)」の診断が下されてもおかしくないメンヘラちゃんの場合の話です。
私は今現在進行系で、境界例で苦しんでいますが、隣で支えてくれる彼氏はもういません。苦しいです。
もしあの時、彼氏がこのブログを読んでくれたら未来が変わっていたのかもしれないという後悔から、一人でも多くのメンヘラ女子とその彼氏さんに伝えたいと思って書きました。
メンヘラは苦しいです。境界例は苦しいです。
そんな時に支えてくれる人が一人でも多くいたら、私たちは救われます。
メンヘラ彼女と一緒にいたらやっかいなこともいっぱいあるけれど、心からあなたのことを愛しているのに違いはないから、突き放したりせず、隣にいてあげてください。
愚痴なら私がここで聞きますよ!(笑)